自分は消しゴムを買ったことがほとんどない。僕が小学生だった当時はカドケシや黒い消しゴムが流行っていたが、それだけではなく、通常の白くて直方体の形状のものも、である。別に不買運動をしていたわけではない。自分は消しゴム業界に強い主張を持つような子供ではなかったし、そして特別な情熱やこだわりをもつ子供でもなかった。消しゴムはただの道具であるから消せれば何でも良いのである。
しかし、消しゴムを使わなかったわけでもない。ではどのように消しゴムを入手していたのかというと、配布消しゴムである。
小学生の時、自分はかなり早いタイミングで「栄光ゼミナール」という言葉を覚えた。別にステマではない。その塾が盛んに自分の住んでいた地区で消しゴムを配っていたのである。今思い出すと彼らは完璧な場所で消しゴムを配っていた。近くに4つのマンションやアパートが建っており、その全ての建物の2階を繋げるようにして公園があった。僕らは「2階の公園」と呼んでいた。その公園の、小学校側の出口の階段を降りたところにいつも構えていたのだ。つまり、その4つの建物の住民が小学校に行く時に必ず通るルート1に。チラシなどの余計なゴミも入っていたが、小学生は喜んで消しゴムを受け取る。そういう習性がある。そんな日々の積み重ねで、自分が使う消しゴムよりも若干多いくらいの消しゴムをもらい続けていた。
ところで一文目で、自分は「ほとんどない」と書いた。つまり、少しはあるのである。自分には想像上の生き物とされる妹が見えるのだが、その妹がたまに動物の形の消しゴムを欲しがった。ピンク色のブタの消しゴムなど、色がついていて形も再現しているものがあるのだ。その時は自分も動物の形の消しゴムを買ってもらっていた。ただ、使う度に動物の足や頭が消えていくのは可哀想だし、正直消しづらかったので、未だに自分の机の引き出しの中で当時の姿のまま眠っている。
中学生になってから、消しゴムは更に配られるようになった。中学校の前でたくさんの塾が配っていた。クリアファイル、マーカー、ボールペン、消しゴム……様々な塾が様々な文房具を配っていった。稀にただのチラシだけを配っている人がいたため、自分は道で配っている人がいたらすぐに配っているものを判別する癖がついてしまった。当然、ただのチラシは誰からも受け取られていなかった2。何年も通う中で一番の当たりの景品はシャーペンだった。たった一度だけしか見ていない。
あまりにも多く配られてしまったので、自分の部屋には綺麗に色ごとに分けられた70近いクリアファイルと、一生使い切ることはないだろう60の東進の消しゴムがある。消しゴムは東進だけでこの量だ。もうこれ以上配られると机が閉まらなくなってしまうくらいになった時、コロナウイルスが発生し、コロナ禍明けにはもう誰も学校前で配る人はいなくなっていた。そんな話。

革命学舎
書く、これしか出来ないから。