革命学舎

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書く、これしか出来ないから。

雲の破片と輪郭と

投稿日: 2025-05-20

タグ: #zakkan

どうも自分のことについて書くというのは難しい、と改めて感じる。なにかしら言葉にしようと試みるのだけれど、どうもうまく腑に落ちる形にならないのだ。

――自分の書いた文章を読み返す行為はあまり好きではない。僕の好きな文章と見比べてしまい、劣っていることを自覚させられるからだ。どうしても自分の書いた文章は好きになれない。

そもそも、事象のすべてを語るのは僕には無理なのかもしれない。書いた(言った)言葉ってごく一部を切り取った断片に過ぎないのに、これで『分かった』などと思われても困るし、不愉快に感じるだろうな、と思う。――こう書いてるとなんだか自分がとても崇高な存在であるかのように誤解されそうだが、べつに自分をなにか特別な存在だなんて微塵も思っていない。

かといって, 周囲のひとたちが皆、完璧で非の打ち所のない崇高な存在であるとも、これっぽっちも思えないのだ。自分も他者も、結局のところは生身の、ふつうのひとだ。

自分と他者は、あくまでも個として独立している。そこにそれ以上の、必要以上の繋がりなど、ほんとうはない筈だ。自分は他者の思考の全てを知ることは出来ないし、その行動だって、結局は自分の目や耳といった感覚器を通して認知できる範囲でしか捉えられない――これは、他者から見た自分についてもきっと同じことだろう。

そうした、極めて限定された情報だけで――要するに、自分が体験した断片だけで――そのひと全体を理解した気になったり勝手に仮説を立てて当てはめたりするのは、随分と傲慢な態度なのではないか、と感じる。自分自身だって、そういう風に見られているのだろうな、と思うと、いたたまれなくなる。そんなちゃちなストーリーで個人の人生すべてを理解されるなんて、可哀想だ。

こんなことを書いているのは、わかってもらえないことを恐れながら、同時にわかってもらいたいとも思っている自分がいるからだろうか。気持ち悪い。――そもそも、誰も自分など理解しようとなんてしていないのに、理解されたくない、などと言ってること自体が、随分と自意識過剰で滑稽な話だ。

特にオチは無いや……

追記
書き終えて読み返すと, なんだかひどく捻くれているように見えるかもしれない。まあ、なんでもいいや