粗く刻む
可児那由多さんがいる。主人公のみに執着するタイプのヒロインである。シュヴィがいる。戦えるヒロインである。児玉まりあさんがいる。天才クール美少女である。
果たしてこれらはほんとうに正しいだろうか。もちろん、シュヴィが戦えないと言っているわけではない。ただ、シュヴィは戦えるだけではない、という話をしている。
任意のキャラクターに対して、任意(複数でもいい)の属性を当てはめることはできる。例えば「ツンデレ」「クール」「幼馴染」などといった言葉で、それぞれのキャラクターを説明することが可能だ。だが、その説明はあくまで我々がそのキャラクターを整理しようとするときに切り取った断片でしかない。ツンデレヒロインや妹ヒロインは一時期流行ったが、どれも異なるキャラクターだった。彼女らはいくつかのタグによってすべての個性を説明出来はしないだろう。
属性というのは、あるものの多面的な存在を、我々が理解しやすくするための便宜的なタグのようなものだ。対象を単純化し、情報を圧縮するためのフィルターだ。そしてこのフィルターを通して見るとき、キャラクターの持つ背景や複雑さは、往々にして捨象される。何かは必ずその網の目をすり抜ける。
だから属性を好みの理由にしている人間は、誠実じゃない。