たぶん夏だった
ブログを書こうと思う。夏が始まった。
ブログを書こうと思った。夏が始まったから。
もちろんみなさんがお察しの通り、今は夏ではない。半袖で歩いた灼熱地獄の記憶は薄れゆき、季節を考えていない露出をするキャラクターが登場する季節になった。私はそろそろ「ハロウィンガチャ」が季語になるだろうと予想している。
ところで、夏とはなんだったのだろうか。
夏というのは記憶と紐づいた季節だ。アスファルトの上で死にかけている蝉と、夏休みのラジオ体操の出席カードのスタンプ――あのスタンプは押し方がいい加減だと欠けたようになる――と、プールの塩素の匂いだ。
あなたもだんだんと思い出してきたはずだ。扇風機の前で出した「あ゛〜」という声、最終日まで大切に取っておいた宿題。あの絶望的な気分も、立派な夏の構成要素だ。なんなら今だって、何かを先延ばしにしている。夏のせいにして。――おっと失礼、これは余計だったね。
夏は個人の記憶であって、実際の温度とは何の関係もない。
もちろん本当は関係がある。だが関係がないと言ったほうが気持ちがいい。私が夏と言えばそれは夏なのである。そういうことを言いたい時期というのが人生にはあって、おそらく私はその時期にいる。ちなみに、多くの人は中学二年生でそれを経験するらしい。
夏休みには何も起こらなかった。少なくとも美少女は空から降ってこなかったし、私は超能力に目覚めなかった。そしてこの事実は何も起こらなかったことと同義である。
私は、実際に何らかの記事を書こうと思っていた。嘘ではないぞ、この記事の書き出しは数ヶ月寝かせておいた一級品だ。だが世界は私に書かせたくなかったのだろう。特筆するべきことは何も起きなかったし、その結果書かなかった。それだけだ。
夏は終わった。ハロウィンガチャの季節である。